一日一言(四月二十四日)

新渡戸稲造著

四月二十四日
天の使は人目の見えぬ所に潜みて助け、人耳に聞えぬ声して導くものか。終始我が傍に居るらしい。彼等の守護がなかつたなら、今までに幾度転び、幾度倒れ、火災、水難数知れぬ禍ひは此の身を亡くしたであろう。我に対して厚意を有し、我を守り、我が安全を祈る者は、我こそその在処(ありか)も姓名知らざれ、必ず、広き世界にはあるなり。

世の人の目をしのびつゝ人の為 身を惜しまぬぞ仏なりける

 私たちは目に見えないもので守られている。
例えば、私は我が家の黒龍さんに守られているし、先祖の方々にも守られているのであろう。
日常ではわからないことも、ふとした出来事でこれを感じることはないか?
突然、仏壇の前に座りたくなったり、神棚に頭を下げることは誰にもあるだろう。
年齢を重ねるとその機会も増えるような気もする。
若い人たちがパワースポットと言いながら神社・仏閣を尋ねることも是のひとつの意味なのかもわからない。
何も見えず、何も感じず毎日活動的に暮らせる幸せを噛みしめることが時としては必要なのかもしれない。