人は器械み非ず

一日一言(新渡戸稲造)

私の尊敬している教育者の一人である新渡戸稲造先生。
有名なのは著書『武士道』、国際連盟事務次長、東京女子大学初代学長という経歴はご存じのことと思われる。
また、今回のお札改定変更で同じ教育者の津田梅子氏へと交代したが日本銀行券の五千円券の肖像としても知られているはず。

この人が自分の助となつた格言を集めて、その日その日の教訓になる格言を日本人が理解できるように、また、簡単な文章で一日の精神的糧になるようにと書き残したのがこの文書である。ただ、1915年(大正4年)の脱稿なので、また、文語文の形態から令和のZ世代人は理解できるかなは甚だ疑問であるが…

もう一つの特徴としては一日分を声高らかに誦(しょう)しても一分以上を要しない短文であるということ。
あなたも私のブログを見ながら音読してみませんか?

今日の糧を得られるかもわかりませんよ。

十月十五日【人は器械み非ず】

一村一芸に達し、即ち専門の学問を修め、身に技能さへあれば、それにて事足ると安んずるは、人の人たる役目をすてゝ自ら機械と変ずるなり。器械にてはかひなし。宜しく一人前の人となることを心無くべし。
世に出でし甲斐こそなけれ類(たぐひ)なき 人の人たる道を知らずば
身にもてる心の玉のくもりなば ふみ読む業もかひやなからん (高見祖厚禅師)
※高見祖厚 国学者。熊本藩士。名は怘、幼名は尚熊のち権右衛門。号に広川・林泉・自在庵等。中島広足に師事し、書・和歌を能くした。維新後は宮内省に奉仕し、のち剃髪して京都に住した。大正6年(1917)歿、75才。
世にいでし かひこそなけれ たぐひなき 人のひとたる 道をしらずば
世にでても、一緒になる仲間がいないという事は、人間はどうあるべきかを知らないが為の生き甲斐知らずだ。
こよなく尊い人の道を知らなければ、この世に生まれてきた甲斐がないではないか(武田智孝氏訳)。
身にもてる こヽろの玉の くもりなば ふみよむわざも かひやなからむ
自分の身に付けている、美しく清らかな心に陰りができれば、読書しても無駄なことになるであろう。