人の見苦しきを思へ

一日一言(新渡戸稲造)

私の尊敬している教育者の一人である新渡戸稲造先生。
有名なのは著書『武士道』、国際連盟事務次長、東京女子大学初代学長という経歴はご存じのことと思われる。
また、今回のお札改定変更で同じ教育者の津田梅子氏へと交代したが日本銀行券の五千円券の肖像としても知られているはず。

この人が自分の助となつた格言を集めて、その日その日の教訓になる格言を日本人が理解できるように、また、簡単な文章で一日の精神的糧になるようにと書き残したのがこの文書である。ただ、1915年(大正4年)の脱稿なので、また、文語文の形態から令和のZ世代人は理解できるかなは甚だ疑問であるが…

もう一つの特徴としては一日分を声高らかに誦(しょう)しても一分以上を要しない短文であるということ。
あなたも私のブログを見ながら音読してみませんか?

今日の糧を得られるかもわかりませんよ。

十月二十五日【人の見苦しきを思へ】

善は僅かにても可為(なすべく)、悪は少しにても為すなかれ、とは古人のよき戒にてにて御座候。此御心得平生に有之度候。
若き時の油断は皆老ての後悔となり申候。畏べし。
倹を可レ守吝に不レ可レ落、礼を可レ行奢に不レ可レ入。吝は倹に近し、奢は礼に似たり、能々弁へ可給也。
衣服諸道具のみ美麗を好むこと世間一統也。我心の見苦敷きを如何と思ふ人なし、浅間敷事ならずや。(中井竹山)
倹(つまし) 吝(おしむ) 奢る(おごる)
レ(漢文記号レ点)
※中井 竹山(なかい ちくざん、享保15年5月15日(1730年6月29日) – 享和4年2月5日(1804年3月16日))は江戸時代中期の儒学者である。大坂の学問所 懐徳堂の四代目学主として全盛期を支える。中井甃庵の長男。中井履軒は実弟。中井蕉園は子。中井碩果、並河寒泉は孫。中井桐園(履軒の孫)は碩果の養子。中井木菟麻呂は桐園の子。
名を善太、元服後に積善と改名。字は子慶。号は竹山、同関子、渫翁、雪翁など