職務を重んぜよ

一日一言(新渡戸稲造)

私の尊敬している教育者の一人である新渡戸稲造先生。
有名なのは著書『武士道』、国際連盟事務次長、東京女子大学初代学長という経歴はご存じのことと思われる。
また、今回のお札改定変更で同じ教育者の津田梅子氏へと交代したが日本銀行券の五千円券の肖像としても知られているはず。

この人が自分の助となつた格言を集めて、その日その日の教訓になる格言を日本人が理解できるように、また、簡単な文章で一日の精神的糧になるようにと書き残したのがこの文書である。ただ、1915年(大正4年)の脱稿なので、また、文語文の形態から令和のZ世代人は理解できるかなは甚だ疑問であるが…

もう一つの特徴としては一日分を声高らかに誦(しょう)しても一分以上を要しない短文であるということ。
あなたも私のブログを見ながら音読してみませんか?

今日の糧を得られるかもわかりませんよ。

十一月十四日【職務を重んぜよ】

自分の職務を軽く見るは、職務の重きを弁へぬ故なり。世には高く大なる職務も数多あらんなれど、自分にとりては、自分の職務より重きはなし。一家のみ治むる婦人も、一室を掃除する下女も、一局部に働く傭人も、小僧も、丁稚も、各自の勤に忠となる。
 後亀山天皇御製
  集めては国の光となりやせむわが窓てらす夜半の螢は
 後柏原天皇御製
  卑きも我に勝りて送る日をなす業なくば身を如何せん

※後亀山天皇(ごかめやまてんのう、旧字体:後龜山天皇、1350年〈正平5年〉[1] – 1424年5月10日〈応永31年4月12日〉)は、日本の第99代天皇、および南朝第4代天皇(在位:1383年〈弘和3年/永徳3年〉冬 – 1392年11月19日〈元中9年/明徳3年閏10月5日〉)。諱は熙成(ひろなり[2])。
北朝を擁護する将軍足利義満が提示した講和条件を受諾して、三種の神器を北朝の後小松天皇に伝えて、南北朝合一を実現した。
長らく皇位が否定されてきたが、1911年(明治44年)に南朝が正統とされたため、歴代天皇に加えられることとなった。
※後柏原天皇(ごかしわばらてんのう、1464年11月19日〈寛正5年10月20日〉 – 1526年5月18日〈大永6年4月7日〉)は、日本の第104代天皇(在位:1500年11月16日〈明応9年10月25日〉 – 1526年5月18日〈大永6年4月7日〉)。諱は勝仁(かつひと)。
後土御門天皇の第一皇子。母は庭田重賢の女の庭田朝子(蒼玉門院)。